岩手の気風が怪物メジャーリーガーを育む!奥州藤原氏の影響は今も!!

偉人を育む岩手県独特の気風

メジャーリーグ、ロサンゼルス・エンゼルスのジョー・マドン監督は、菊池雄星vs.大谷翔平。花巻東高対決を前にふたりが同郷で、同じ高校の卒業生であることを聞いて、驚きの表情を浮かべました。

「出身地に関係なく、同じ故郷からメジャーリーガーになれることは本当に素晴らしい。球界にとっても故郷にとってもね。(対決は)素晴らしいストーリーになる。私は同じ高校の選手とメジャーでプレーする機会はなかったよ」

と発言しました。

米国では、菊池、大谷、佐々木朗希が同じ出身地であることが話題に上るようになり、なぜ岩手県から超一流の野球選手が生まれるのか。そんな論議もされるようになりました。

それに対し、菊池雄星選手は次のように答えています。

「花と同じなんです。陽の光、水を与え、『綺麗になれ』の思いを込めながらじっと見守る。そういう環境が綺麗な花を育てると聞いたことがあります。それと同じで、岩手の人たちは子供たちを温かく見守ってくれるんです。そういう土壌が影響しているのかもしれませんね」

と。

宮沢賢治や石川啄木の超越した想像力も、新渡戸稲造の今も模範となる教育指針の創造力も、温かく見守ってくれる周囲の環境、そういう土壌がなかったら、育まれなかったでしょう。

大谷翔平選手の恩師、花巻東高校の野球部佐々木監督も、こう話しています。

「残念ながら育てるとか何もなくて。考え方に関してだけはしっかり話をしました。目標と環境さえ与えて邪魔せず見守り、経験さえ積ませれば、(自ら)上がっていくので」

岩手県の持っている土壌・気風を体現している言葉ですよね。

「見守る」ということは、相手を尊重していることなので、選手の心理的安全性へと繋がり、力を十二分に発揮できるようになるのではないでしょうか。

岩手県のこのような土壌・気風は、いつから?何が起因しているのでしょうか?

岩手県の気風=平泉型安全保障体制

岩手県平泉の奥州藤原氏はかつて、源義経という異端な天才を評価して、信じて、更に才能を伸ばそうと見守りました。

岩手県の持っている気風は、平安時代にこの地で繁栄した奥州藤原氏の体制が土地に根付いたものではないか、と考えられるのです。

皆さんは、奥州藤原氏の平泉が、前九年・後三年の二つの悲惨な戦争を経験し「軍事と戦争の時代の終了」と「仏教による北方世界の平和」を意図した都であったことはご存知ですか?

奥州藤原氏は、紛争の調停者として、在地領主層の所領支配と経済的利益を保障し、さらに平和の実現をもって家臣団編成=北奥羽領主層の政治的統合をなしえた点で、「平泉型安全保障」体制といえるものでした。(斉藤利男著 平泉/北方王国の夢より)

在地領主のアイデンティティを尊重し、安全・安心を保障することによる緩やかな統治ともいうべきものです。

当時としては独自的で先進的で今の時代にも合いますよね。

岩手県には、今も尚、この時代のこの良質なものが残っていると考えられるのです。

そんな地盤が元々あったからこそ、大谷翔平選手は、岩手県という土地に生まれてきたのかもしれません。

大谷翔平選手だけでなく、菊池雄星投手も。佐々木朗希投手も。

奥州藤原氏の気質=水沢人気質

大谷選手の出身地、奥州市=旧水沢市は奥州平泉政権のお膝元で、源義経ゆかりの地なんです。

大谷翔平さんの「翔」は義経の身軽な動きをイメージした漢字。「平」の字は「平泉」の「平」だと、お父様は語られています。

また“偉人の町”としても有名です。

江戸時代を代表する蘭学者の高野長英、海軍次官から総理大臣まで登りつめた斉藤実、関東大震災の復興を指揮した東京市長、後藤新平と、小さな町から、日本史の教科書に載っている人物が3人も輩出されている「みちのくの小京都」です。

水沢人気質として、新しい物に対する好奇心が強く、チャレンジ精神に富むこと。

とも言われたりします。

北海道札幌市の開拓においては、水沢藩士ら202人の移住に始まるそうです。

これらの水沢人気質も、平安時代にこの地で繁栄した奥州藤原氏の気質が土地に根付いたものなのではないか。

と考えられます。

平泉政権は、日本の枠組みを超えた「北方王国」ともいうべき独立的な政権で、交易の利を基盤とし、渤海や後金などと同様の政権でした。

平泉仏教は当時の中国仏教と強い共通性を有し、東アジアの「グローバルスタンダード」を志向した、すぐれた国際性・国際感覚をもった政権でした。

奥州藤原氏自身が日本を超える広い視野を持ち、京都や鎌倉とは異なる新たな歴史の構築をめざしていました。(斉藤利男著 平泉/北方王国の夢より)

大谷翔平選手の、国際感覚、既成概念にとらわれない、新しい価値観を信じて生み出す行動力は、この土地に生まれた理由なのかもしれません。

おわりに

岩手県は、この度、なぜ超一流の野球選手が岩手県から生まれるのか、について注目されましたが、他にも、コロナ禍初期の頃、1県だけ感染者0人を継続していたり、東日本大震災時、大変な時でも被災者が整然と列を作り配給を待ったりと、世界に賞賛されました。

想いをこめて温かく見守る、子供も大人も尊重する、つまりは、平和的に共存・共生する気風の現れではないでしょうか。

何年か前にカーリング日本選手権に小5男子、松原永和くんがチーム岩手代表でデビューしたのを見ました。

40代の選手と11歳の男の子が、対等に策を出し合い、対等にplayする姿に感銘を受けました。

岩手県チームらしい光景だな、と思いました。

私は「岩手県は特別な土地」だと思っています。

この特筆すべき良質な気風が根付いた要因として、平安時代、奥州藤原氏による平泉政権の影響が大きい。と確信しているのです。