お祭りの掛け声の神秘!八戸三社大祭のヤーレ ヤーレの掛け声から驚きの日本が見えてきた !!

八戸三社大祭

皆さんの町の、お祭りの掛け声って、どんな掛け声ですか?

民謡の掛け声で、「エーンヤ コラ」なんて、普段まず使わない言葉が使われていても、疑問を感じたことはありませんでした。

それだけ日本文化の、奥深ーくに浸透していた言葉だと言えます。

ソーラン節の掛け声、「ヤーレン ソーラン 」は、ヘブライ語で訳すと「神に喜び歌う! 一人でも 」という意味だったり、「ドッコイショードッコイショ」は「救い主よ、苦しみを終わらせてください!苦しみを終わらせてください!」という意味だったりすることを聞いたことはありませんか?

青森ねぶた祭りの掛け声「ラッセーラー ラッセーラー」は、諸説ありますが、ネパール語の「アラッセーラ」が一番自然に訳せると思うのですが、「元気を出せー、元気を出せー」という意味になります。

弘前ねぷた祭りの掛け声「ヤーヤドー」に関しても、へブライ語で訳すと、「神!栄光の神!」という意味だったりするのです。

これらの言葉はすべて、世界中の人々が、何かの目的で、遥々日本へやってきて、ひたすら長い旅路に、自分たちを励ますように、歌って唱えていた「労働歌」のような言葉に感じるのです。

八戸のお祭り「三社大祭」の掛け声の意味は?

私は八戸市出身なので、同じ青森県の中で、八戸のお祭りの掛け声は、何語でどう訳すことができるのか調べてみました。

子供の頃、八戸三社大祭に参加したこともあったので、お祭りの掛け声は覚えています。

「ヤーレ、ヤーレ、ヤーレヤーレヤーレヤーレー」「もひとつおまけにヤーレヤーレヤーレヤーレー」という掛け声です。

この「ヤーレ」という言葉の連呼、これでもかと連呼するこの言葉は、ヘブライ語で、

「立ち上がれ!立ち上がれ!上がれ!上がれ!上がれ!上がれー!」

という意味なんです。

その他に、三社大祭には、

「ヨーイ ヨーイ ヨイサー ヨイサー ヨイサーノ セー」という掛け声もあります。

この言葉は、ヘブライ語で訳すと、

「私の神、私の神、ヤハウェ(エホバ)の神が助けて下さる、助けて下さる!前に進ませてくださーい!」

という意味になります。

その後に前述の「ヤーレ ヤーレ ヤーレ ヤーレー」という「上がれ!上がれ!」の連呼が続くのです。

想像すると、イスラエル民族が八戸に海から上陸してきた時の、「陸に上がれ」という掛け声に聞こえてくるのは、私だけでしょうか。

でも何で、アフリカの方から人々が隊列でやってきたんだろう。と素朴に疑問を持ってしまいます。

新郷村戸来の「キリストの墓」にヒントがあった!

どうしてイスラエル民族や、ネパールの民族は、青森にやってきたんだろう。

日本が、東の果て日出ずる国だったから、あこがれを持ってやってきたの?

いやいや、それだけのことで遥々アフリカから大変な思いしてやってくるかな?

広い日本、何で八戸にやってきたのさ? 

と、いろいろ考えながら、

何か手がかりが見つかるんじゃないかな、と思って、八戸から車で1時間ほど内陸にある、新郷村戸来の「キリストの墓」に行ってみることにしました。

キリストの墓に行くのは、初めてだったのですが、玉置浩二さんの「田園」を思わず口ずさんでしまうくらい、のどかな環境の所で癒されたと同時に、そこに「キリストの里伝承館」があって、そこが最高に面白くて、興味深くて、今回のテーマのヒントもたくさん得られた場所でした。

戸来(ヘライ)はヘブライをもじったもので、ユダヤ(現在のイスラエル)に所縁のありそうな風習や習慣が、今もなお多く残っているようです。

例えば、子供が生まれ、初めて戸外に出す時、子供の額に墨で十字を書き入れる習慣があったり。あるいは、足がしびれた時に、人さし指にツバをつけ、額に十字を書く、これを3回繰り返すと足のしびれが治るという習慣があったり。

中でも最も、有名なのは、「ナニャドヤラ」という古くから伝わる盆踊り唄があることです。この歌詞はこの辺の言葉では解読できない言葉の唄で、意味不明だったのですが、米国に住む神学者、一戸町出身の川守田英二氏が、全編ヘブライ語で訳すことができると発表しました。「御前に聖名をほめ讃えん」という意味になるそうです。

実は、私、何を隠そうこの「ナニャドヤラ」の踊りが大好きで、八戸の盆踊り大会で何回か踊ったことがあるのですが、この踊りは難易度が高く、必ず盆踊り大会の一番最後に曲がかけられて、腕に覚えのあるおばちゃんやおばあちゃんたちが、サーっと踊りの輪の中に入ってきて踊り出すんです。

いつも見ている近所のおばちゃん、おばあちゃんたちが、別人になったようにフットワーク軽く踊りだすんです。

かっこいい、と思ったそんな憧れの踊りでもあり、私もいつか、その達人になりたいと思う踊りなんです。

そんな思い入れもありまして、意味がもっと分かるように、素人なりに直訳的に訳してみました。

ナニャドヤラの歌詞の直訳

ナニャドヤラは同じ歌詞の繰り返しなんですが、この地域の中でも、一番単語が多い、二戸に伝わるナニャドヤラの歌詞、一戸に伝わるナニャドヤラの歌詞、平内に伝わるナニャドヤラの歌詞をYouTubeで聞き取って、歌詞を直訳してみました。

☆平内に伝わるナニャドヤラの歌詞

ナニャドヤラ ナニャドナサレ イノー ナニャドヤラー

統治者(御子)進もう! 御子はナザレの人間! 御子進もう!  

☆一戸に伝わるナニャドヤラの歌詞

ナニャドヤラヨー ナニャドナサレー イダ ナニャドヤラヨー

統治者(御子)進もう神の元へ! ナザレの御子! ユダ族! 御子進もう神の元へ!

☆二戸に伝わるナニャドヤラの歌詞

ナニャドヤラヨー ナニャドナサレー イダ サーエ ナニャドヤラヨー

統治者(御子)進もう神の元へ! ナザレの御子! ユダ族! 贖いの犠牲! 御子進もう神の元へ!

ナニャドヤラの歌詞の用語📚解説と考察

◆「統治者」: 聖書によれば、イエス・キリストは、神の王国の王として、天から人類を治めることになっています。そのため、理想の「統治者」という言い方をしています。

◆「御子」: 聖書によれば、イエス・キリストは、天地万物の創造者、宇宙の支配者、人類の救済者で、唯一絶対の神であるヤハウェ(エホバとも言う)のひとり子。「御子」という言い方をしています。

◆「ナザレ」: 聖書によれば、イエス・キリストは、幼少期から30歳まで「ナザレ」というイスラエルの都市に住んでいて、きわめて重要な場所とされています。「ナザレ」は、イエス・キリストの枕詞のようになっている言葉です。

◆「人間」: 平内に伝わるナニャドヤラの歌詞に、御子はナザレの「人間」という単語が付いています。御子の父であるヤハウェ(エホバ)は、霊的な天におられ人間ではない。ですがイエス・キリストを「完全な人間」として、この世に送り込んだ。と言われています。

◆「贖いの犠牲」: 二戸に伝わるナニャドヤラの歌詞には、「贖いの犠牲」という単語が出てきます。この「贖いの犠牲」とは、下記物語をざっとご紹介します。

~聖なる神、ヤハウェ(エホバ)が、最初の人間、「アダム」を造られ、「神に似た者として」自分と同じように、愛,知恵,力,「自由意志」も「完全な命」も与えて、「アダム」は、病気になることも、老化することも、死ぬこともない状態で、良き助け手として「エバ」も造られました。しかしエバは、ヤハウェ(エホバ)より、ただ一つ禁止されていた、善悪の知識の木の実を取って食べてしまい、アダムもエバに勧められて、食べました。他はどんな木の実でも取って食べることができたのに。エバは実はサタンにそそのかされていたのです。

アダムは、神に逆らって死を宣告されました。ヤハウェ(エホバ)との友情、楽園での暮らしも失いました。神に逆らうことを選んだアダムとエバに希望はありません。私たちもその影響を受けています。アダムのせいで、「人類に罪が入り、罪によって死が入り、こうしてすべての人が罪人になり、死がすべての人に広がりました。」~

聖なる神、ヤハウェ(エホバ)は、人類を罪と死から解放するために、「贖い」を用意しました。「贖い」とは「何かを買い戻したりするために支払う代価」です。聖書で言う「贖い」とは、「人類を罪と死から解放するために、神が支払った代価」です。それが、ご自分のひとり子、イエス・キリストの「完全な命」でした。アダムが失ったものと同じ価値がなければ、「贖い」にならないので、「完全な人間」イエス・キリストの「完全な命」が必要でした。「贖いの犠牲」とは、「イエス・キリストが人類のために完全な命を捧げたこと」を言います。

◆「進もう!」: ナニャドヤラの歌詞の直訳すると、「御子進もう!」とか「進もう!神の元へ」とか、「進もう!」が出てきます。キリストは贖いの犠牲で亡くなっているのに、なんで、「御子進もう!」なのだろうか?と思ってしまいます。

聖書によると、キリストは、人類が完全な命の希望を取り戻した証として、死を遂げ葬られてから3日後に、地上によみがえらされ、弟子たちの前に現れたと記されています。その後、天に上げられた、とありますが、

その後、戸来に来たんだろうか。なんで?

戸来には「キリストの墓」と「キリストの弟の墓」があって、弟「イスキリ」はキリストの身代りになったと伝えられていますが、実際は、弟なのではなく、よみがえる前の、犠牲を捧げたキリスト自身の体の、頭髪と耳を葬った墓だったのではないか、名前も「イスキリ」だし。と考えてしまいました。

その答えは「竹内古文書」の中にあった!

謎はすべて解けた!(笑)

竹内古文書の中に、「キリストの遺言書」というところがあって、その中に、

~☆イスキリス クリスマス遺言 天国の言バ(神代文字)ニテフミシ(記す)。~

◇天国神倭(神武天皇より以降をカムヤマト朝と称する)十一代天皇(垂仁天皇)即位二十九年シハツ月(十二月)立三日(立は上旬のこと)アヂチ国ユダヤ、カルバリノ岡ニ難ニ合フ汝ガ弟イスキリ、汝ニカワリテ三十三歳死す。

◇イスキリス王五日イミカエリ(よみがえり)テ再立ス。

と記されていたのです。

「イスキリス」はイエス・キリスト。「イスキリス」王は、弟イスキリが死んでから2日後、よみがえっています。

やはり、キリストの身代りになったという、弟「イスキリ」は、よみがえる前の、犠牲を捧げたキリスト自身の体のことなのではないでしょうか。

そればかりではありません。

「日本」のことを「天国神倭」と記しています。

日本の初代天皇、神武天皇以前の日本は「天国神倭」という場所であった。

そして、

◇汝ガ天国へカエル(帰る)、汝ガ天国へ来タリテ六十六年目、汝ガ自身に造ル像、祭神宮へ納メル。汝ガ霊ヲ今ヨリ先ノ代必ズ大神宮神主孫々ノ代祭リ願ウ。

と記されていたのです。

キリストが日本にやって来たのは、この「天国神倭」に来るため、戻るため。

そして、神社に代々、自分を祭ることを願い出ているのです。

ここで、お祭りの掛け声と繋がってきます。

そして、

◇天国神倭十一代五十狭芽天皇(垂仁天皇)即位三十三年ケサリ月(二月)籠六日(籠は下旬のこと。すなわち二十六日)、天国チヂノク(陸奥)ノ八戸ヤレコ(軍人屯所)、トネコ(通訳官居所)ノ水門(港)松ヶ崎上り、イスキリス泊マル貝鞍ノ里ニ宿ル。

とも記されていました。

キリストは、やっぱり、八戸市の松ヶ崎港に上陸していたのです。別の意味でYes!

八戸のお祭り「三社大祭」の掛け声「ヤーレ ヤーレ 」(上がれ!上がれ!)は、イスラエル民族が八戸に海から上陸してきた時の、「陸に上がれ!上がれ!」という掛け声、という私の予想は、かなり当たりの可能性大ではないでしょうか。

でも、キリストは、広い日本、何で戸来にやってきたのさ?

という疑問は残ります。

超古代、十和利山中腹には巨大神殿があり、迷ヶ平に巨大神都があった!

超古代、キリストが戸来(ヘライ)にいらっしゃる遥か何万年も昔、竹内古文書によると、

十和田湖の南東に位置する、「十和利山」の中腹の小高い丘には、間口が227m、奥行き291mの「巨大神殿」が築造され、十和利山の麓、「迷ヶ平」がその中核を成す「巨大都市」が、1万年以上も栄えて、世界中から多くの人々が参拝に訪れた。と言うのです。

迷ヶ平は、上記地図の454号線と21号線が交わった所。

十和利山は、エジプトピラミッドより何万年も古い、天然の山を利用したピラミッド、つまり、太陽礼拝所で、巨大な神都は、大神殿を中心に東西16.5km、南北19kmにも渡ったそうです。

十和利山から8kmほど離れた、戸来羽井内地区には「大石神ピラミッド」と呼ばれる巨石群、磐境列石があるのですが、これは、この神都の東の端にあって、十和利山の拝殿であった可能性も指摘されています。

大石神ピラミッドは、上記地図の454号線沿い「しんごう」という紫文字の四角いマークの所。

キリストの墓は、上記地図の454号線沿い「454」の青いマークの所。

十和利山と大石神ピラミッドはセットで、二つを結ぶことで成り立ったと言われています。

大石神ピラミッド 方位石
大石神ピラミッド 鏡石
大石神ピラミッド 

竹内古文書に記されている年代記を見ていくと、十和利山に行われた「大神殿の建造」は、地球の完成以来、富山の御皇城山以来2例目で、以降の年代記を見ても他に例がないので、おそらく特別なものだったと考えられます。

また、この神都には、世界中のエリートが訪れ、最先端の学問を学んだとも言われたり、その中の一人がイエス・キリストであり釈迦だった。という話もあります。

太陽が地上の人々を照らす、天地人合一の地だった。とも言われています。

キリストは、この十和利山の大神殿を目差してやってきたのだ。

イスラエル民族は、この十和利山の天国の大神殿を目指して海路日本を目差し、八戸から上陸してやってきたのだ。と思われます。

迷ヶ平の神都はエデンの園だった!

山根菊子氏は、著書「光りは東方より」において、

この地域では、男のこと(成長した男や父親)を「アダ」「ダダ」と呼び、女のこと(成長した女や母親)を「アバ」「アッパー」と呼ぶのだが、これは、聖書に言うアダムとエバから来ていて、迷ヶ平は、「エデンの園」だった。と述べています。

日本全国どこを歩いても、この地域を除いて「アダ」「アバ」と言う呼び方をする所が無いそうです。

更に、迷ヶ平には、熱帯地に繁茂する「シダ」が不思議と1m20~30以上に成長するのですが、これは、エデンの園で温暖な気候だった名残だと、指摘しています。

聖書は、「エデンの園」は、ヤハウェ神(エホバ)によって造られた最初の人間アダムとエバが、最初に住まわされた楽園(パラダイス)。と記しています。

そして、「エデンの園」は「東のかた」にあり、そこから4つの川が流れ出している。という一節があるのですが、山根氏はそれも、「完全一致している。」と述べています。

「エデン」という言葉は「平地」という意味なので、高所の平地「迷ヶ平」を彷彿とさせます。

私は、「東のかた」という言葉が、ここをほのめかしている気がしてならないです。

「迷ヶ平」は「万世(代)ヶ平」。「永久、とこしえの楽園」だった。と言っても、不思議は無い。

キリストは、このエデンの園と考えられる「万世ヶ平」(迷ヶ平)を目差してやってきたのだ。

ナニャドヤラの歌詞「神の元へ進もう!」の「神の元」とは、この「万世ヶ平」(迷ヶ平)のことだし、十和利山の天国の大神殿のこと、と考えられます。

キリストが戸来に来る何万年も前から、イスラエル民族は一つのルートとして、海から八戸に上陸してこの「迷ヶ平」を目差して、十和利山の大神殿を目差してやってきた。と考えられます。

他にもある!世界中から多くの人々が訪れたという片鱗。

迷ヶ平の東南の端に、「ドコノ森」というなだらかな山があるのですが、

この山からは、線刻文字という古代文字が彫られた、平たく大きな石がたくさん出土します。

足元の拾う石、拾う石、木の枝の形を掘ったものや、ヘブライ文字に似たもの、阿比留文字らしいもの、十字を刻んだものなど。たくさん発見されるそうです。

特に、南向きの七合目から頂上にかけて見つかっていて、十和利山や戸来岳や大黒森からも、いずれも南斜面に集中して線刻石らしき石が、見つかっているそうです。

この付近一帯は、山の表面が皆、黒色土なので、線刻石は、一つ一つが他から運ばれてきたもの、と考えられることから、

「線刻石」は、世界中から天の神殿に想いを馳せてやって来た人たちの、願いを掘った「祈願石」で、太陽のエネルギー=天の神のエネルギーと感じて、想いが届くように、山の南斜面に配置したものではないでしょうか。

まとめ

八戸のお祭り「三社大祭」の掛け声、「ヤーレ ヤーレ ヤーレ ヤーレ」は、ヘブライ語で「上がれ!上がれ!上がれ!」と訳せました。

「ヨーイ ヨーイ ヨイサー ヨイサー ヨイサーノ セー」は、「私の神、私の神、ヤハウェ(エホバ)の神が助けて下さる、助けて下さる!前に進ませてくださーい!」と訳せました。

これは、十和利山中腹にあった天の「大神殿」に参拝するためやってきたイスラエル民族が、八戸に海から上陸してきた時の、「陸に上がれ!上がれ!上がれ!」という掛け声と同時に、

十和利山中腹にあった天の「大神殿」に向かって、迷ヶ平の「楽園の神都」に向かって、「上がれ!上がれ!」という掛け声でもありそうです。

それこそ線刻石(祈願石)を運びながら、「私の神、私の神、ヤハウェ(エホバ)神が助けて下さる、助けて下さる!前に進ませてくださーい!」と歌って自分たちを励まして進んでいた、そんな様子も想像されます。

今回は「八戸」の「お祭りの掛け声」を掘り下げてきましたが、おそらく、日本の他地域のお祭りや民謡の掛け声の中にも、独特な囃子詞でヘブライ語やその他言語で訳せる言葉が見られるのではないでしょうか。

特に、地球完成以来、一例目の「神殿建造」があった御皇城山、富山県とその周辺地域は、民謡の宝庫であり、代表的な「こきりこ節」を始め、ヘブライ語で解釈すれば理解できる民謡の囃子詞が多く存在するそうです。

超古代、世界中の人々が遥々、天の神国「日本」へ参拝にやってくる際に、ひたすら長い旅路に、自分たちを励まして、歌って唱えていた言葉が、日本文化の深ーい部分に浸透していき、お祭りや民謡の「掛け声」として現れた。

という結論になりました。

とんでも話でもない!

「キリストの遺言書」の中の

◇汝ガ天国へカエル(帰る)、汝ガ天国へ来タリテ六十六年目、汝ガ自身に造ル像、祭神宮へ納メル。汝ガ霊ヲ今ヨリ先ノ代必ズ大神宮神主孫々ノ代祭リ願ウ。

という一文は、

神社にはキリストが祭られている可能性がある。

キリストと天照大御神は繋がっている可能性がある。

そこにヤハウェ(エホバ)の神がいらっしゃる可能性がある。

ことを物語っています。

「竹内古文書」の年代記には、「天国神倭」の時代より遥か昔、日本が「天神代」という一番古い時代の、一番最初に、

「第一代天地身一大神」は「宇宙創生」したと記されています。

「宇宙創生」と言えば、聖書では唯一神「ヤハウェ神(エホバ神)の御業」。

日本の神とヤハウェ神(エホバ神)は一致するのです。

余談ですが、

この地域では、成長した男または父親を「アダ」、八戸では「ダダ」って言います。私は使いませんが、おばあちゃんが私の子供の頃に「~家のダダが~」って使っていました。そして、成長した女または母親を「アバ」、八戸では「アッパー」と言うのですが、おばさんが私の子供の頃にこんな話をしてくれました。

~近所のお母さんが、子供をおんぶして農作業していたら、「ブー」っておならをしてしまいました。お母さんは、子供のお尻をポンポン叩きながら「あっ、この子ったらおならした」と言って、周囲の目をごまかしたところ、背負われていた子供が「アッパー屁も、我屁」と叫んだ。~

という笑い話です。「アッパーヘーモ、ワーヘー」と発音します。「お母さんの屁も、僕の屁だもんな。」という、お母さんへの抗議の笑い話でした。

おわりに

竹内古文書をもっと見ていくと、

「上古第24代 天仁仁杵身光天津日嗣天日天皇 天空浮船で万国巡幸。」

みたいなことが、たくさん記されています。

天空浮船ってまさにUFOのことじゃないですか。天皇自ら、このUFOの発着所に、「羽」という地名を名付けたと言われています。

「大石神ピラミッド」のある戸来の羽井内は、UFO発着所だった可能性が高いです。

その他にも、「不合第3代 ~天皇 天皇の寿命が短くなる。」

みたいなことが、記されていたり。

超古代は、何万年も生きていたみたいで、聖書に出てくるアダムも死の宣告を受けても930才まで生きたようです。

次元上昇だ、アセンションだ、という言葉が当たり前に使われ始めた今こそ、竹内古文書への理解がより深まってくるのかもしれない。と感じました。

ドイツでは、「全世界の歴史の不明箇所は、日本の全部を研究調査する事によって、完全に解け得るはずだ。」と言われているそうです。

メキシコでも、「メキシコ人の祖先は日本である。」と、観念的に言われているそうです。

やはり日本は超古代、全世界における「天」の拠点、全世界の本家の地であり、全世界の中心地、特別な地だったと想像されます。

私たちは、再び、「とこしえの楽園」が来るように願って、それに向かって進んで行こう!

そのような想いを持つ今日このごろです。